昨日、お世話になっている東北公済病院の医院長先生と、会議で一緒になりました。
立ち話でしたが、“巨人の長嶋さん”は毎日休むことなく、リハビリに精を出しているんだから、味由部長も頑張れと励ましていただきました。
ありがとうございます。
長嶋さんが夢に出てきて、“セコムしてますか”でなく“リハビリしてますか”と励ましてくれないかなァ…… 笑い
味由部長 頑張ります!!!
11月17日のブログで、病に倒れた経緯をお話ししましたが、今回は4ヶ月間の病院でのリハビリ生活について、まとめておきたいと思います。
これだけは初めに声を大きくして言っておきます。
味由部長は、倒れてから一時たりともネガティブになったことはありません!
それもこれも、支えになってくれた家族、友人、病院の関係者の皆さんがいたからこそです。
急性期のリハビリは、倒れて担ぎ込まれた仙台徳州会病院でお世話になりました。
倒れてから三日後からリハビリを開始し、2人のカワイイ理学療法士さんに、歩行・徒手訓練のお世話になりました。
しかし、頭が混乱していたのかあまり記憶にないのです。
ただ味由部長の奥さんが、小学校低学年用の学習ドリルを買ってきて、混乱した脳の修復に力を注いでくれました。
利き腕がマヒしている右手なので、左手で“あ、い、う、え、お”書くことから、算数は九九から始めました。
始めました?
そうです“あ、い、う、え、お”は言えるが、書くことができないのです。
それに九九が言えないのです。
それ以降、奥さんによるスパルタ教授が、根気よく繰り返されました。
徐々に脳の中のパーツが組み立てられだし、1週間過ぎたころから8割方、理解できるようになりました。
しかし、依然として、は行が書けず、九九も7の段が正確に言えない日が数日続きました。
10日目、は、ひ、ふ、…、ほ。最後の一文字…が書けない!
あっ! “へ”だ。
頭の中に“へ”が浮かんだ瞬間、脳の中のパーツが音をたててリセットされていった。
最後のパスワードは“へ”だった。
瞬間、九九もスムーズに言えるようになり、目を背けていた新聞も難なく読めるようになった。
今の私、味由部長が社会復帰できているのは、このパスワードを探すことができたことが大きい。
仙台徳州会病院でのリハビリは1カ月続き、しっかり独力で立つことはできなったが、やっとのこと一人で車椅子に乗り移ることが出来るようになった。
それから回復期に向けて、東北公済病院の宮城野分院への転院が決まった。
続く…。