2週間ぶりでリハビリ行ってきました

  • 2013.12.27 Friday
  • 20:00

リフレッシュ休暇をとっていたので、久々のリハビリです

やはり、定期的にしっかりとリハビリに打ち込まないと、マヒしているところが一層言うことをきかなくなりますね

心はリフレッシュしましたが、これからは体のケアも心がけます


と言うことで、味由部長は年末の仕事を済ませ、18時に予約を入れ、2週間ぶりにボクシングジムに行ってきました


初めてこのブログを見た方は、ボクシングジムに通ってんの?

味由部長って武闘派なのかと思われるかもしれませんが、自称、知性派で通ってます


新仙台ボクシングジムの佐藤会長に、筋整流による”腱引き”の施術を受けています


ハワイに1週間いて、帰って来てからも連休中ウダウダしてたので、体が鈍ってました。

これから年末年始とリハビリに行けないので、自主練あるのみです


 

障害を乗り越えよう!

  • 2013.12.12 Thursday
  • 12:44

味由部長は、要介護2級、障害者手帳2級です。
右半身のマヒの状態は、退院した時と、あまり変わっていません。
右腕はほとんど機能しておらず、右足も足首以下が緊縮し、ふくらはぎの筋肉、大腿部の裏から臀部にかけての筋肉は、完全にマヒし、ヒザ、足の関節はコントロールが難しい状態にあります。

何故、味由部長が常にポジティブシャキーンとしていられるか、医療の現場におられる方、
私と同じような程度の障害を抱えている方の参考になればと思い、何点かポイントをあげたいと思います。

実は味由部長、学生時代は器械体操や、世界の民族舞踊に打ち込んでいたこともあり、体のバランスと、美しい姿勢の保ち方に自信がありました。

入院している方のほとんどが、顔を下に向け、目は伏し目がち、肩も背中も丸まっている。
そうしている患者の中には、自分を病人として認識してほしい。看護婦さんから優しい声を掛けられたい、家族に心配してほしい…。そうです甘えたいのです

でも、そのままの状態でいると、本当に体が固まってしまい、常態化してしまうのです。

もちろん、このことは味由部長の実体験であり、そうなってしまうところでした。

個人的感想だろうと怒られる方もいらっしゃるかと思いますが、ハンディキャップを持つ者の、心の中に押し込んでいる声だと思ってください。

それに、うつむいて肩をまるめていては、声も消え入りそうな、か細い声になってしまい、どんどん自分は病人だと思い、深〜い滝つぼの中に流されてしまうのです。

〇私は脳出血でしたが、血圧の高いことは病気だと思いますが、右半身マヒは結果だと思い、悩まずにそれを受け止めました。

〇まず目線を上げ、肩を張り姿勢を正しました
  新た世界が見えたわけでなく、健康だった元の世界に感覚が戻りました。

〇仙台在住の元テレビ東京のアナウンサーに、ボイストレーニングの個人レッスンを受けました。
  
小さなかすれ声が、腹の底から声が出るようになり、人前で堂々と話すことができるようになりました。
 レッスンの中で、目をつぶらされました。そして、”雑踏の中で、50メートル先にいる300人の人に、自分の声が届くようにイメージして、腹に力を入れてアーと大きな声を出しなさい…”。すると、どこ潜んでいたのか、腹の底から大声が飛び出してきた。
本当に、本当に感嘆しました!


〇肩に激痛が走り、眠れない夜が続き、イライラが募り家族に当たったこともありましたが、2つの方法で肩の激痛をクリアしました。
  天城流湯治法の杉本錬堂先生に相談する機会があり、肩の痛みを相談したところ、痛い方の手の親指と人差し指の間を押しほぐせ”という指示を受け、痛くて寝れない時、それをやったところ痛みが消え、ぐっすり眠れました。天城流湯治法でHPを検索して見て下さい。ヒントが見つかるかもよ

  
天城流の錬堂先生を紹介してくれたのが、上杉山整形外科クリニックの伊沢先生。先生は理学療法だけでなく、民間療法である筋整流の腱引きや、天城流湯治法を施術できる環境を整えている。伊沢先生には、痛みが激しい右肩にヒアルロンサンの注射を打ってくれるなど、痛みを完治していただきました。



以上、通常のリハビリでは成し得なかった一端を紹介させていただきました。

味由部長は、効くと呼ばれる民間療法は積極的にチャレンジしてみたいと思います。
今度、伊沢先生から、羽黒山で、山伏の修行を積んだ気功の先生を、紹介してもらいました。

味由部長、普段も呼吸がスムーズにできてないようで、それが筋緊張につながっていると自覚しているのです。
やるぞ!!山伏修行 ぶおぉ〜ぶおぉ〜  ……??

仕事帰りにリハビリ行ってきたよ!

  • 2013.12.02 Monday
  • 21:45

前回、闘病生活を振り返えろうとしましたが、が、余り覚えてないし、振り返っていてもプラスにならないので、現在にフォアードします。
 
仕事帰りにリハビリに行ってきました!


3月から新日本仙台プロボクシングジムに通っています。
 
?????
 
障害者手帳2級の味由部長が、何でプロボクシングジムに……!


 
実はジムの佐藤会長は、古式腱引き 筋整流法の東北支部道場の責任者です。

“古式腱引き”なんじゃそりゃとお思いの方が多いと思いますが…、

“治りたい!!”藁をもつかむ思いの私に、親友から紹介されました。

初めて佐藤会長に会ったとき、早く良くなって“サンドバック”を思いっきり叩けるようになろうね。と言われました。

味由部長の闘争心がメラメラと燃えあがりました。

施術は、いわゆる筋肉と腱を調整するもので、擬音語で表すと“ひぇー痛い!、ん〜っ効く!”です。もちろん味由部長の個人的感想です。


詳細は、古式腱引き 筋整流法のHPをご覧ください。
 


今日も仕事を終えてから、
     ジムに行って来ました


ボクシングで鍛える若者たちの間に入って、何故か背筋が伸びる味由部長なのです。


 
まずは、正常な左半身からビシビシと。

何せ、日常、言うことを聞かない右半身をかばって生活をしているので、左半身は悲鳴をあげているのです。

それから右半身へと。

足、腰、肩と腱を引っ張って、最後は頭部をマサージ。リンパの流れもケアしてもらっています。

 

ところで、味由部長は4月から完全社会復帰し、職場でバリバリ仕事をしています


実は上役から、「持ち前の話術で、後方から皆に指示してればいいんだから早く復帰しろ」と、入院しているときから励まされていたのです。
 
4月1日、皆の前で、ノーマライゼーションを宣言しました。
※心の中を吐露すれば、“一生懸命、仕事するから仲間外れにしないでね”だよ。
 
と言った手前、杖をついてやっと100mしか歩けない味由部長は、外部会議に、懇親会に、出張に、活動範囲を拡げていったのです。

今では杖をついてならば、歩みはのろいですが2,30分なら、歩き続けることが可能になりました。

片側4車線ある国道4号線の横断歩道は、最初、亘り切るのに信号機が黄色になってましたが、今では歩行者用信号が青点滅するあたりで、亘り切ることができるようになりました。
もちろん杖が離せないんだけどね

思い起こせば1年前 PART2

  • 2013.11.30 Saturday
  • 23:28
 

昨日、お世話になっている東北公済病院の医院長先生と、会議で一緒になりました。

 

立ち話でしたが、“巨人の長嶋さん”は毎日休むことなく、リハビリに精を出しているんだから、味由部長も頑張れと励ましていただきました。

ありがとうございます。

 

長嶋さんが夢に出てきて、“セコムしてますか”でなく“リハビリしてますか”と励ましてくれないかなァ…… 笑い

 

味由部長 頑張ります!!!  

 

 

11月17日のブログで、病に倒れた経緯をお話ししましたが、今回は4ヶ月間の病院でのリハビリ生活について、まとめておきたいと思います。

 

これだけは初めに声を大きくして言っておきます。

 

味由部長は、倒れてから一時たりともネガティブになったことはありません!

それもこれも、支えになってくれた家族、友人、病院の関係者の皆さんがいたからこそです。

 

急性期のリハビリは、倒れて担ぎ込まれた仙台徳州会病院でお世話になりました。

倒れてから三日後からリハビリを開始し、2人のカワイイ理学療法士さんに、歩行・徒手訓練のお世話になりました。

 

しかし、頭が混乱していたのかあまり記憶にないのです。

ただ味由部長の奥さんが、小学校低学年用の学習ドリルを買ってきて、混乱した脳の修復に力を注いでくれました。

利き腕がマヒしている右手なので、左手で“あ、い、う、え、お”書くことから、算数は九九から始めました。

 

始めました?

そうです“あ、い、う、え、お”は言えるが、書くことができないのです。

それに九九が言えないのです。

 

それ以降、奥さんによるスパルタ教授が、根気よく繰り返されました。

 

徐々に脳の中のパーツが組み立てられだし、1週間過ぎたころから8割方、理解できるようになりました。

しかし、依然として、は行が書けず、九九も7の段が正確に言えない日が数日続きました。

 

10日目、は、ひ、ふ、…、ほ。最後の一文字…が書けない!

あっ! “へ”だ。

頭の中に“へ”が浮かんだ瞬間、脳の中のパーツが音をたててリセットされていった。

最後のパスワードは“へ”だった。

瞬間、九九もスムーズに言えるようになり、目を背けていた新聞も難なく読めるようになった。

 

今の私、味由部長が社会復帰できているのは、このパスワードを探すことができたことが大きい。

 

仙台徳州会病院でのリハビリは1カ月続き、しっかり独力で立つことはできなったが、やっとのこと一人で車椅子に乗り移ることが出来るようになった。

 

 

それから回復期に向けて、東北公済病院の宮城野分院への転院が決まった。

続く…。

思い起こせば1年前

  • 2013.11.22 Friday
  • 22:09

私、味由部長が脳出血で倒れてから1年が経ちました。
長かったのか、短かったのか記憶が定かでありません。
そうですよね左脳に血があふれて重体だったのですから…。
           
     と弱気になる味由部長ではありません!
そこはしっかりと倒れる1か月前あたりから思い出したいと思います。
倒れたのは2012年11月9日(金)午前10時過ぎです。

実はその1か月前の10月1日に人間ドックを受診してました。
2週間後に結果が送られてきましたが……個人情報なので詳細は秘密ですが。
血圧が高く、上は130後半から150半ば。
下が90後半から110半ばで要経過観察
ここ数年、下が高いことは気になってました。
自覚症状がないものですから大丈夫だと過信してました。

手帳を見たら10月は会議やら出張にと一生懸命頑張ってた様です。
出張は被災地支援。主に被災事業所に全国から無償提供された遊休機械を届ける事業に加わってました。
この事業は後日、忘れない東日本大震災で詳細コメントしたいと思います。
ということで、石巻と釜石に泊りがけで出張してました。
もちろん、被災地にお金を使うということも重大な任務?で、夜遅くまでお酒を飲んでました。

11月に入り、1,2日と、さいたま市で職場関係の会議。
その足で3,4日と前述した遊休機械関係で、東京ビックサイトで行われた日本国際工作機械見本市にPRブース出展。
またまた夜は関係者と遅くまでの付き合い。
仙台に戻って6,7日と研修。
夜は講師に招いた福岡の仲間と懇親会……。
やっぱりハードワーク気味だった。輪をかけてお酒が好きて深酒しすぎた。

その日が来た。
11月9日朝。いつものようにホンダスーパーカブに乗って出勤
出張や事業の成果について報告を済ませ、お疲れ様でしたと、ソファーから立ち上がり2,3歩、歩きかけた瞬間…
急に体から力が抜け、スワーッと頭の中を冷たい風が吹き抜け床に倒れた。
遠くで味由部長の上司が、ソファーに寝せて、ネクタイとベルトを緩めろ!救急車呼べ!と的確な指示を出している。

その時の声やみんなの処置は、断片的ではあるがちゃんと覚えている。
薄れる意識の中で、救急車が来てストレッチャーに乗せられ、職場のビルから運び出された。
歩道を横切ったとき、職場の同僚が手を拡げて通行人を静止してる姿が目に焼き付いている。


救急車に乗せられ、同期の同僚が同乗してくれた。
救急隊の人が血圧を測っているようだ。
私は渾身の力を絞って、バックの中に携帯が入っているので妻に電話して欲しい、と懇願しているのだが、声にならないらしく伝わらない…

意識が一瞬戻ったのは、運び込まれた仙台徳洲会のICUだ、状況を見て最悪は開頭するという先生の声が聞こえたような気がする。

何時間経ったのだろう、ハッキリと意識が戻ったのは、病室のベットの上だった。
その時妻の顔が見えて安心した。
生きていたんだと思った。

右半身が動かない、脳出血だと思った。
母親も64才の時、大脳出血を発症し数時間でこの世を去った。同じだと思った。

でも母とは違い、私は回復の道を歩むことになった。
三日目からはリハビリが始まった。


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私の名前は味由である。味のある顔をしている。 ご主人様とは顔が瓜二つで、ゲーセンのUFOキャッチャーでキャッチされたのが出会いである。 このブログは、2012年11月に脳出血で倒れ、右半身が不自由になったご主人様と私こと味由部長が、リハビリに、震災復興に、まちづくりに、遊びにとポジティブな生き方を選び、そして歩むドタバタ奮闘記である。

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